過去にいくつかの職種を経験しています。
友人曰く、「振り幅が大きいね」。
確かに、それぞれの仕事の間には脈略がありません。
結婚前は子どもの福祉施設で保育士をしていたとお伝えすると、
友人の言うところの「振り幅」がちょっとイメージしやすくなるでしょうか。
当時は、ある程度自由が効くことが要件で、
空いた時間で絵を描こうという目論見です。
そして興味本位だったことも否めません。
軽貨物運送業がその一つ。
自営で5年ほど続けました。
仕事の内容は多岐にわたり、企業間の配送から、各企業への配達、作業が伴う配送(PCの入れ替えなど)、一般家庭への宅配も頼まれることがありました。
配達さえ終われば、そのあとは解放されるのがこの仕事の良さでした。
ただ、依頼が来る時間も不規則で、大抵が急ぎなので電話を受けたらお客さんのところにすぐ向かわなくてはいけません。
暇な時期は仕事が入らない日が続く場合もあります。
それはそれで落ち着かないものですね。
大手運送会社のプロジェクトが始まるとその期間は安定しますが、にわかの業者となって様々な企業で作業するため、スリルと緊張の毎日。
振り返ると大変だったなぁって思うんですけど、面白みを感じていたから続けられたんだと思います。
運転好きなこともあって、それ自体は苦になりませんでしたし。
さて、運送業と密接なのは交通ルール。
2006年の道路交通法の改正で、駐車違反の取り締まりが厳しくなり、あちらこちらで駐車監視員を見かけるようになっていました。
場所によってはヒヤヒヤしながら配達していた覚えがあります。
一度は、こんなことがありました。
駅前のロータリーのようなところでクロネコさんも荷下ろししていたのと、他の人の邪魔になるところでもなさそうだったので、ちょっとなら大丈夫かなと思ったのですが・・・。
たしかその間10分くらいだったと思います。(配達先で少し待ち時間が発生)
配達を済ませて戻ったら、
「えっ👀・・・!?」
車がありません。
配達途中の荷物ごとレッカー車で移動されてしまったのです。
車を止めていたはずの場所に「車は移動しました。〇〇署に来てください。」と白色のチョークで書き残されていました。
貴重品が入ったバックも車の中。
とりあえずタクシーで〇〇署に向かいます。
ショックを受けている私に、運転手さんは「あそこはパトカーがレッカー車を引き連れて取り締まっているところなんですよ。」と教えてくれました。
レッカー車を連れて取り締まり?私には想像できないことでした。
担当者からは、みんなが承知していることなので移動させないわけにはいかないというような説明を受けました。他の人に示しがつかないということなんですね。
悔しさとわけのわからない感情が溢れ、不覚にも涙が止まりません(笑)
その日の支出はタクシー代、駐車違反料金、レッカー車代(レッカー車まで自分で払うことにまたショック。)
警察署を出てどっと疲れが出ました。
がっくりと落ち込んでいる自分に鞭打ち、なんとか残りの配達を済ませました。
私の不届きで引き起こしたことでありながら、どうしても理不尽に思えてしかたなかった出来事でした。
今度は良いエピソードです。
その日は、お店や会社をまわっていました。
繁華街で車を駐車するところもなく、仕方なく路上にとめて急いで荷物を届けました。
戻ってくると、私の車のところに緑色の制服姿のお二人が。
「あっ、すいませーん!」と声を張り上げながら駆け寄る私。
気がついた女性の監視員さんが「はい!声をかけた方が早かった!」ともう一人の監視員さんに言ってくれたのです。
何かを書いていたと思われる男性の監視員さんも無言でしたが承知してくれました。
助かりました。
点数も痛いけれど罰金を科されるのも辛い。
今でも女性監視員さんの肝っ玉母ちゃんのような言い方を思い出すと頬が緩みます。
これは別の日のこと。
パソコンの新旧の入れ替えというプロジェクトで色々な企業をまわっていました。
現場に行くと作業する会社が入っているビルにも周辺にも駐車場もありません。
そして、駐車監視員さんの姿があります。
どうしようかと迷った末、ダメ元でその監視員さんに声をかけました。
「このビルに入っている会社にパソコンの入れ替えに来たのですが、駐車場もないので困っています。一時間ほどかかりますが車をここにおいても良いでしょうか。」そんなことを言ったと思います。
その監視員さんは、ちょっと渋い感じでしたが、「まあ、急いでね」と言ってくれました。
ダメかも知れないと思っていたので、本当にありがたかったです。
約一時間後、作業を終えて車に戻ると監視員さんに会えたので、心からお礼を伝えました。
考えてみると、監視員さんにとっては立場上よろしくない状況だったはず。拒否されても仕方ないことです。
容認してくれたのは、そこは広い道路でそれほどの影響がなかったからかもしれませんが、その人の度量の大きさのように思います。
この運送業では、良いことも悪いことも数えきれない経験をしました。
危ない目に遭ったり、できれば経験したくなかったこともありますが、たくさんの人情の機微に触れたのもこの仕事でした。
鮮明に思い出せるのは、基本的には一人で切り抜けなければならない場面がほとんどでしたから、記憶に深く刻まれたためかもしれません。
でもその時に味わった「感情」はうまく薄れて懐かしさに変わり、ちょっとした面白体験として人生を豊かにしてくれているようにも思います。
これも時ぐすりのなせる技なのかもしれません。
ただ、もうやれる気がしません。この仕事に関しては燃え尽きてしまった感じ。
家族の協力があってこその仕事でもありました。
夫も、もう御免被りたいと思っているようです(๑>◡<๑)
長くなりました。最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。