ゆっくり、ゆっくり。

イラストと日々の思い。

利き手のこと


おはようございます。

最近はよく眠れるので寝坊気味。

至福の早朝時間が少なくなりましたが、睡眠は大事ですね。


今回は、利き手にまつわる話です。


もしかしたらこのブログを読んでくださっている方の中にも利き手が左手という方がいらっしゃるかもしれませんね。

私も左利きです。

動作によっては右手も使います。

例えば、字を書くのは右ですし、小学校の高学年でソフトボールをやりましたが、右投げ右打ちでした。

同じスポーツでもテニスや卓球などのラケットを使う類は左です。

箸やスプーンは左手で、絵を描くのも左です。

消しゴムは左なので、右手で字を書き、間違ったら持ち替えることなく消せるのでちょっと便利。

包丁は、まな板を使う時は左、野菜や果物の皮を剥くのは右と忙しいです。

思いつくまま挙げてみましたが、割合としては左手を使うことが多いと思います。

小さい頃に親に直されたという記憶はなく、憶測ですが字を書くのが右なのは習字を習っていたことが関係しているかもしれません。

ソフトボールもグローブが右利き用しかなかったためかな?

ハサミもそうですが、道具が利き手に依存するもの・動作の時は右手を使っているように思います。


5歳離れた妹も左利きです。

妹は全部が左なので、やはり両親は直すことはしなかったのでしょう。

10人に1人といいますが、中学に上がるまで私の周りに妹以外は左利きはいなかったように思います。

(これに関しては覚えていないだけかもしれません)

昔は左利きを直そうという風潮はありましたから、小さい頃に直された人はいたかもしれませんね。


左利きを「ぎっちょ」と呼んでいました。

「ぎっちょ」が差別的に聞こえたのは、小学生の時(学年は忘れました)に参加したキャンプでのことでした。

そのキャンプは地区の他の小学校との合同で行われ、他校の男子数名で私のことを「ぎっちょだぎっちょだ」と言っているのを聞きました。

この時初めて左利きは人と違うのか?と意識したんだと思います。

それまでも「コッペってぎっちょなんだね。」と言われたことはありましたけど、気にしていませんでしたから。


また、こんなこともありました。

小学校の修学旅行でのこと、食事の席で隣に年配の女性の先生が座り、右手で食べるように言われました。

食事が終わるまでずっとつきっきり。

右手でぎこちない手つきで食べるのでとても時間がかかり、最後には広間で先生と二人になってしまいました。

そして食事の味気ないこと。

その時、利き手で食べないと美味しくないのだと知りました。

先生は左利きだと困るだろうと思ってそうしているのだと、子供心にもわかっていたんだと思います。

ただ、右手で食べる試みはその日だけで終わり、それ以降右手で箸を持つことはなかったと思います。

そして、その食事が修学旅行の一番の思い出になってしまったとは、先生も想像できなかったのではないでしょうか。

ちなみに二番目の思い出すのは、バスの中でのクイズに正解し、運転手さんからご褒美に小さなガラスのケースに入った乙女の像をもらったことです。これは嬉しい記憶。

旅行先は十和田湖でした。

 

さて、ちょうどその頃(少し前かな?)、麻丘めぐみさんの「私の彼は左きき」、高校生の時にはピンク・レディーの「サウスポー」なんかが流行って、密かに味方を得たような気分になったのを覚えています。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

中学時代は、バスケット部に入ったのですが、先輩の中に一人だけ左利きの人がいました。

バスケが上手くて、ちょっと厳しい、近寄りがたい先輩でしたが、勝手に親しみを感じていました。

それだけ、当時は左利きは珍しかったんですよね。

 

今はスポーツ界でも左利きは多いですし、私が子供の頃とでは、印象が随分と変わったと思います。

 

書店で「1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き」という本を見つけたときは、タイトルがすごいのでちょっと引いてしまいましたが、興味はありました。

 

最近になって思い出し、図書館で借りて読んでみました。

www.diamond.co.jp

私自身は左利きであることに困ったことはほとんどありませんが、この本を読んであることが救われました。

それは話すこと、言語化についてです。

左脳が言語中枢を司っているのはよく知られていることですが、

左利きは両方の脳を使うため、「言葉を使って考えをまとめるのに時間がかかる傾向」があると言うことです。
言語処理が得意な左脳を常に右手で刺激している右利きと違い、左利きは非言語情報を扱う右脳を主に働かせています。
言葉に置き換えて言いたいことを発するまでに使用する脳のルートが、ほんの少し遠回りなのです。p41

子供の頃から今に至るまで、話したいことがスッと言葉にならない、ワンテンポ遅れる感覚があります。

これだったのか、と思いました。

 

普通の会話や一対一の面談はそうでもないのですが、会議など人前で意見を言ったり説明するのは緊張もあってか話す直前も頭の中に言葉がない状態に陥ったりしました。

話終わってから、こう言えばよかったなぁと考えてしまうこともしょっちゅうで、

毎日のように人前で話していながら、とうとう最後まで慣れることはありませんでした。

順序立てて具体的な言葉で説明することが下手だと思います。

仕事で必要がなければ、これほどまでにコンプレックスを感じることはなかったかもしれません。


話すより書く方が好きなのは、時間をかけて考えられるからでしょうか。

何度でも書き直せますしね。


言語化については、少なからず脳の使い方にも原因があったと知って、気持ちが楽になった気がします。

原因を知るのは大事な一歩だなって思います。

もちろん、左利きの人がみんなそうだとは思いませんが、同じような悩みを抱えている方がいたら、読んでみると少し楽になれるかもしれません。

著者自身も左利きで、30歳になってもひらめいたことを言語化して確認、検証、論文としてまとめることが大の苦手だった(p72)と言っています。

ひらめいたことを言語化する努力をしたことで克服したそうです。


また、左脳を鍛えるためにブログやSNSで自分の考えを発信するのも、とても効果があるそうです。

仕事をしていた時のように、説明や報告をする機会はなくなりましたが、左脳を鍛える意味でも、意識してイメージを言語化してみようと思っています。

生きている限り、気がついた時が始め時。

ブログは続けるべし!ですね。


気づきは変化の最大の触媒なのだ

ーエリックハルト・トール「ニュー・アース」サンマーク出版より

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。