おかげさまで、更新はゆっくりですがブログを続けられています。
いつもありがとうございます。
話を聞いてもらい、見てもらう場所。
簡単ですが、これが私にとってのブログなのかなと思っています。
このメインブログでは、イラストや写真などを添えて、主にその時々の思いや感じていること、旅や展覧会、思い出話などを記事にしています。
サブブログでは、最近始めた俳句(すっかり滞っております)と、ウォーキングの記録を一枚の写真と三行の言葉で綴っています。(周辺の公園をぐるぐるしている記録です)
こんな記録としての要素もありますね。
一人で完結するのであれば、おそらく私の場合は続かないと思います。
日記も続いた試しがありません。
どなたかが読んでくれている。見てくれる人がいる。
だから、面白くて楽しくて、そして少し怖さも感じるブログを続けられているのだと思います。
今は人に会って話すことが少なくなりました。
1年半前まで人に接する仕事をしていたので、急激な変化です。
ですが、不思議と人との会話に飢えるようなこともなく過ごしています。
ブログのおかげかもしれません。
他の人のブログを読み、自分でもブログをゆっくり書き進めて、思いや考えを形にしていくことが、人と会話する機会が少ないことのリハビリのような役割も担ってくれているように思います。
ひいてはボケ防止にもなる期待感もあったり。
頭の中でぼんやりと浮かんだり消えたりする考えを捕まえて、文章にしていく作業は楽しいものですね。
昔のことですが、職場の同期5人がみんな職場を離れ、それぞれの土地で暮らしながら一冊のノートに近況や考えていることを書き綴り次の人に回す、ということをしていました。
ブログを書いていると、ちょっとそれに近いものを感じます。
1人に向けてではなく、自分だけに向ける訳でもない、他の誰かが読んでくれることを念頭に入れて書く。
手紙や日記とは違う感覚です。
一度ブログから離れて7年近くの空白がありました。
正直なところ、もう戻れないと思っていました。
勤めを辞めて、多くの方にイラストを見てもらう方法を考えていた時に、娘にInstagramを勧められました。
娘は遠くオーストラリアのブリスベンで暮らしているため、連絡用に作ったアカウントはあります。
(今はLINEで連絡を取るのがほとんどです。電話も無料でありがたいですね。)
始めようと思えばすぐにでも始められたのですが、一歩が踏み出せませんでした。
フォロワーになってくれる人がいなかったら寂しい〜とか、そんな理由です^^;
宙ぶらりんになっているはてなブログの存在は気になっていました。
経験もあるし、まだ残っているし。
と、できる理由を考えたのが良かったのかもしれません。
再開から無事3ヶ月が経過し、今があります。
この間、自然に書くことに重きを置くようになり、イラストは文に添えるものになりました。
これは、予想していないことでした。
⭐️やコメント、ブックマーク。どれもとても励みになります。
イラスト素材を使っていただいたり、ブログの内容を引用していただいた時もとても嬉しかったです。
こうしたブログ間の交流があるということも、続ける後押しになっているような気がします。
文は人なりと言いますが、文章を通してその方の人となりが感じられるのが魅力です。
また、さりげない言葉に優しさやユーモアを感じて、モニターを前にしてほっこりしています。
内容はシリアスなのに、ふとした言葉にユーモアが感じられることもあります。
ご自身は苦しい状況に置かれていてもユーモアを忘れないことに、「相手に対する思いやりが、ユーモアの原点なのです。」というアルフォンス・デーケンさんの言葉を思い出します。
言葉の引用・「よく生き よく笑い よき死と出会う」アルフォンス・デーケン 新潮社 より
イラストや写真も魅力的ですよね。
美しい花や景色といった自然、かわいいいきもの、行ったことのない場所、建造物、美味しそうな食べ物。
一言で言うと、目と心の栄養です。
私にとってブログを読むことと書くことはセットのようです。
これからもゆるゆると程よい距離感で、できれば長く楽しみたい。
そう思うこの頃です。
皆さまに日頃の感謝を込めて。