一昨日、昨年の秋ごろから関わっていた仕事が終わりました。
正確には四日前に終わっていたのですが、変更が出たので一昨日修正分を納品して完了です。
修正依頼のメールを読んだのは、長野の北横岳に向かう車の中でした。
ipadは携帯しているので修正できないことはないのですが、泊まるホテルの環境がどうなのかが心配でした。
編集者のUさんに事情を話すと、翌日の夜まで待ってくださるとのこと。
場合によってはと、ギリギリの線を提示してくれて大丈夫!と言ってくださる優しいUさん。
でも、長年のお付き合いで編集の仕事がいかに大変かを感じ取っている身としては、なんとかせねばと思うのです。
しかしそんな思いも自然の中では・・・
北八ヶ岳ロープウェイ山嶺駅からロープウェイに乗り込んで山頂駅へ。その頃には仕事のことはすっかり忘れています。
山登り初心者、すっかり気軽な山登りを楽しみました。
そして気持ちを切り替えてイラストの修正に取り組みました。とはいかず、「疲れた〜」と言ってホテルのベットでブログを読み、本を読みとごろごろしているうちに眠くなる。
こうなると意志力は限りなくゼロに近いのです。
あきらめて就寝。
翌朝早く、TVが置いてある台の隅っこであまり明るくないスタンドをつけて、ひっそりとイラストの修正をしました。
メール添付でUさんに送り、念の為LINEでも送った旨を伝えます。
早かったので油断してました〜!とのお返事。
時間的な余裕ができたことを喜んでくださいました。
良かった。心からホッとしました。
タイトルのライフワークについて、ウィキペディアにこんな記述がありました。
自己啓発書作家の本田健は「ライフワークとは、自分のなかにある《幸せの源泉》から湧き出る情熱を使って自分らしさを表現し、まわりと分かち合う生き方」と定義している。「幸せの源泉」とは、そこにつながるだけで、本人が幸せになるようなこと。その人らしい本質で、静かなワクワクを感じ、つきることのない情熱がある場所である。
引用:ウィキペディア
ちょっと気恥ずかしいのですが、私にとってのイラストは仕事というよりもこのライフワークという言葉がしっくりくるように思います。
特に青文字のところに共感しています。
でも、今だからそう言えるのかもしれません。
2016年、このブログを始めた時は、常勤で仕事をしていてイラストが描けなくなっていく焦りのような気持ちがありました。
子どもの学費、家のローンやらで、私も家計を支えるのは必須でしたし、やる気も満々。一方で焦燥感もある。ちょっと矛盾しますけど。
仕事中心の生活は長く続きましたが、このブログのように始めたけどやめてしまったり、保留になっていることが少なからずあります。(幸いブログは再開できました)
いつの間にか気持ちが離れてしまうことに抗えない自分がいます。
そんな中でイラストへの想いだけは残り続けました。
言葉をお借りすると静かなワクワクですね。
これがライフワークという言葉がしっくりくるという所以です。
それは私の想いに肯定的な家族や友人、そして前述のUさんのように、離れずに依頼を下さる方に支えられているもののようにも思えます。
結局そこに行き着きますね(*´꒳`*)
生きている間は、細々とでも描いていけたら幸せだなって思っています。
今こうして描けることにも感謝しています。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。