ゆっくり、ゆっくり。

イラストと日々の思い。

秋バラ観賞&サンポーキング

おはようございます。


先日、小田原フラワーガーデンに行ってきました。

秋バラが見頃を迎えていて、ふわっと香る香りに癒されます。

バラの香り、好きだなぁ。

 

シュネープリンセス 白雪姫という意味 産出国オランダ

ゴールデンボーダー 産出国フランス

これは、まさかの都忘れ?(違っていたらごめんなさい)

春の花が一輪。

季節がどうなっているのか、心配になります。

 

 

以前の記事で一ヶ月に一度の山登り宣言をしましたが、実は最近夫の病がわかり、しばらくは難しくなってしまいました。

体力が落ちたと感じたのは、年齢のせいもあるとは思いますが、病も原因だったようです。

身体を動かすのは大事なので、今は、こんな風にあちこち歩くことを中心にしています。

 

今は亡き作家の森村誠一さんが著書の中で、山がそこにあるからというだけでは登らない。山恋いがあるから登るんだというようなことを書いておられました。

私も、一人で登るところまでは行かず、それは山に恋する気持ちが足りないからというのはあると思います。

夫がまた山に登れるようになるのを願いたいと思います。

 

 

さて、小田原は曽我梅林が有名ですが、このフラワーガーデンの中にも沢山の梅の木が植えられています。

バラ科サクラ属、バラ科アンズ属と札がかかっていて、そうか梅はバラ科か、サクラ属とアンズ属があるのね。と初めて知ったかのようですが、きっと前もどこかで見たことがあるはずで、すっかり忘れているのだと思います。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、梅の木は500種類以上あるんですね。

 

数は少ないけれど、睡蓮が咲いていた

ウォーターポピー この写真だけ23.9.27に撮影したもの

 

フラワーガーデンはバラ園を抜けると庭園のようになっていて、小川が流れていたり、睡蓮が咲く池があったりと歩いていて楽しい場所です。

隣接する県立小田原諏訪の原公園も散歩を楽しめる大きな公園で何度か訪れています。

都市計画では65ヘクタールが予定されていて、現在は17ヘクタールまで整備されているそうです。

この大きさでまだ4分の1弱ですから将来は相当大きな公園になりますね。

 


上の写真は空中歩道。惹かれる名称です。

 


富士山がてっぺんだけ、ほんのちょっとしか見えないのが惜しいところ。


サンポーキングがすっかり趣味になり、毎日のように近場を歩き回っています。


(サンポーキングとはなんぞやと思われた方はこちらをご覧ください。)

focuson.life

koxtupe.hatenablog.com


ただ、午後は仕事にあてているので午前中の範囲で行動しています。

歩き回っていると歩いてみたいところが増えていくのは自然の成り行きですが、

半日でというと限られます。

 

湘南平で見つけた案内、歩いてみたい道。一日あれば可能ですね。

昨日は裏山を歩いていて、落ちているアケビの皮を見つけました。

途端に蘇るのは子どもの頃に友達とアケビをとって食べた記憶。

そんなワクワクする遠い記憶を呼び起こせるのもサンポーキングの魅力の一つです。

野山をかけずり回り、田んぼの堰や小川でどじょうやタニシをとって遊んだ頃の記憶と一緒に、これからもサンポーキングを楽しみたいと思うのでした。


いつもお読みくださりありがとうございます。

利き手のこと


おはようございます。

最近はよく眠れるので寝坊気味。

至福の早朝時間が少なくなりましたが、睡眠は大事ですね。


今回は、利き手にまつわる話です。


もしかしたらこのブログを読んでくださっている方の中にも利き手が左手という方がいらっしゃるかもしれませんね。

私も左利きです。

動作によっては右手も使います。

例えば、字を書くのは右ですし、小学校の高学年でソフトボールをやりましたが、右投げ右打ちでした。

同じスポーツでもテニスや卓球などのラケットを使う類は左です。

箸やスプーンは左手で、絵を描くのも左です。

消しゴムは左なので、右手で字を書き、間違ったら持ち替えることなく消せるのでちょっと便利。

包丁は、まな板を使う時は左、野菜や果物の皮を剥くのは右と忙しいです。

思いつくまま挙げてみましたが、割合としては左手を使うことが多いと思います。

小さい頃に親に直されたという記憶はなく、憶測ですが字を書くのが右なのは習字を習っていたことが関係しているかもしれません。

ソフトボールもグローブが右利き用しかなかったためかな?

ハサミもそうですが、道具が利き手に依存するもの・動作の時は右手を使っているように思います。


5歳離れた妹も左利きです。

妹は全部が左なので、やはり両親は直すことはしなかったのでしょう。

10人に1人といいますが、中学に上がるまで私の周りに妹以外は左利きはいなかったように思います。

(これに関しては覚えていないだけかもしれません)

昔は左利きを直そうという風潮はありましたから、小さい頃に直された人はいたかもしれませんね。


左利きを「ぎっちょ」と呼んでいました。

「ぎっちょ」が差別的に聞こえたのは、小学生の時(学年は忘れました)に参加したキャンプでのことでした。

そのキャンプは地区の他の小学校との合同で行われ、他校の男子数名で私のことを「ぎっちょだぎっちょだ」と言っているのを聞きました。

この時初めて左利きは人と違うのか?と意識したんだと思います。

それまでも「コッペってぎっちょなんだね。」と言われたことはありましたけど、気にしていませんでしたから。


また、こんなこともありました。

小学校の修学旅行でのこと、食事の席で隣に年配の女性の先生が座り、右手で食べるように言われました。

食事が終わるまでずっとつきっきり。

右手でぎこちない手つきで食べるのでとても時間がかかり、最後には広間で先生と二人になってしまいました。

そして食事の味気ないこと。

その時、利き手で食べないと美味しくないのだと知りました。

先生は左利きだと困るだろうと思ってそうしているのだと、子供心にもわかっていたんだと思います。

ただ、右手で食べる試みはその日だけで終わり、それ以降右手で箸を持つことはなかったと思います。

そして、その食事が修学旅行の一番の思い出になってしまったとは、先生も想像できなかったのではないでしょうか。

ちなみに二番目の思い出すのは、バスの中でのクイズに正解し、運転手さんからご褒美に小さなガラスのケースに入った乙女の像をもらったことです。これは嬉しい記憶。

旅行先は十和田湖でした。

 

さて、ちょうどその頃(少し前かな?)、麻丘めぐみさんの「私の彼は左きき」、高校生の時にはピンク・レディーの「サウスポー」なんかが流行って、密かに味方を得たような気分になったのを覚えています。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

中学時代は、バスケット部に入ったのですが、先輩の中に一人だけ左利きの人がいました。

バスケが上手くて、ちょっと厳しい、近寄りがたい先輩でしたが、勝手に親しみを感じていました。

それだけ、当時は左利きは珍しかったんですよね。

 

今はスポーツ界でも左利きは多いですし、私が子供の頃とでは、印象が随分と変わったと思います。

 

書店で「1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き」という本を見つけたときは、タイトルがすごいのでちょっと引いてしまいましたが、興味はありました。

 

最近になって思い出し、図書館で借りて読んでみました。

www.diamond.co.jp

私自身は左利きであることに困ったことはほとんどありませんが、この本を読んであることが救われました。

それは話すこと、言語化についてです。

左脳が言語中枢を司っているのはよく知られていることですが、

左利きは両方の脳を使うため、「言葉を使って考えをまとめるのに時間がかかる傾向」があると言うことです。
言語処理が得意な左脳を常に右手で刺激している右利きと違い、左利きは非言語情報を扱う右脳を主に働かせています。
言葉に置き換えて言いたいことを発するまでに使用する脳のルートが、ほんの少し遠回りなのです。p41

子供の頃から今に至るまで、話したいことがスッと言葉にならない、ワンテンポ遅れる感覚があります。

これだったのか、と思いました。

 

普通の会話や一対一の面談はそうでもないのですが、会議など人前で意見を言ったり説明するのは緊張もあってか話す直前も頭の中に言葉がない状態に陥ったりしました。

話終わってから、こう言えばよかったなぁと考えてしまうこともしょっちゅうで、

毎日のように人前で話していながら、とうとう最後まで慣れることはありませんでした。

順序立てて具体的な言葉で説明することが下手だと思います。

仕事で必要がなければ、これほどまでにコンプレックスを感じることはなかったかもしれません。


話すより書く方が好きなのは、時間をかけて考えられるからでしょうか。

何度でも書き直せますしね。


言語化については、少なからず脳の使い方にも原因があったと知って、気持ちが楽になった気がします。

原因を知るのは大事な一歩だなって思います。

もちろん、左利きの人がみんなそうだとは思いませんが、同じような悩みを抱えている方がいたら、読んでみると少し楽になれるかもしれません。

著者自身も左利きで、30歳になってもひらめいたことを言語化して確認、検証、論文としてまとめることが大の苦手だった(p72)と言っています。

ひらめいたことを言語化する努力をしたことで克服したそうです。


また、左脳を鍛えるためにブログやSNSで自分の考えを発信するのも、とても効果があるそうです。

仕事をしていた時のように、説明や報告をする機会はなくなりましたが、左脳を鍛える意味でも、意識してイメージを言語化してみようと思っています。

生きている限り、気がついた時が始め時。

ブログは続けるべし!ですね。


気づきは変化の最大の触媒なのだ

ーエリックハルト・トール「ニュー・アース」サンマーク出版より

 

最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

散歩化ウォーキング

おはようございます。

久しぶりの投稿です。

 

健康のために始めたウォーキングが楽しくて、散歩化しているなと感じるこの頃です。

散歩化したウォーキングだからサンポーキング?と閃いて、これは新しい言葉かも!と思い早速ネット検索してみたら、もうすでに使われている言葉でした。

Focus on 平田伸行 気づいた時には、もう健康 ―サンポーキングのすすめ―


平田さんという方は、散歩以上ウォーキング未満でサンポーキングと名付けたようです。

 

夏前から歩き始めて、4ヶ月になります。

季節の移ろいを肌で感じる楽しみを得ました。

 

季節に匂いがあるんだなぁって、今更ながら感動しています。

 

歩いていると、様々な季節の花に出逢います。

知っている花は一握り。

見たこともない花が案外多くて、らんまんの万太郎のように「おまん、誰じゃ〜?」と覗き込みます。



そして空と雲。

ますます好きになり、空いっぱいに描かれた雲のアートを楽しみながら歩きます。

 

まさにセンス・オブ・ワンダー

特別な場所に行かなくても、身の周りのところで自然を感じ、飽きることがないのです。

ありがたいことです。


そういえば10年も前のことですが、職場の先輩が「歳をとるとね、花鳥風月なのよ」と言っていました。

仕事帰りに道端に咲いている花を見ては「これは〇〇だね〜」と確かめるようにつぶやいていたのを思い出します。

今、私も花鳥風月を楽しむひとりになりました。

冒頭で久しぶりの投稿と書きましたが、実はサブブログの一つは毎日更新しています。

ウォーキングがテーマの3行(パソコンのモニターで)日記です。

もしご興味がありましたら覗いていただけると嬉しいです。

 

shiawasenoyokann.hateblo.jp

 

メインである「ゆっくり、ゆっくり」の投稿数と、「ひとりしずか」の投稿数が昨日で逆転してしまいました。

文字通りゆっくりですが、こちらも気ままに更新していきますので、よろしくお願いいたします。

 

秋になって

Snowdropより

やっと体感的にも秋になりましたね。


夏の暑さから解放されると、いろんなことを思い出してきます。

やりかけのこと、止まっていること、やらなければならないことなどなど。

秋から冬にかけては好きな季節なのに、心がざわざわ。

このざわざわを解消するには、やはり行動するしかないと思います。

早起きなので、朝30分は勉強にあてる。

これはすぐ始めました。

これだけで、ざわつきが少し落ち着いたような気がします。

次に更新が止まりつつあるホームページと素材サイトの見直し。
素材サイトについては、今、色々迷いがあります。

このことについては、時が来たら書けるかもしれません。


ホームページにも変化をつけたいのと、仕事の情報を載せるためにページ内の改善が必要です。

 

それから片付けです。

目に見えるものはもちろんですが、目に見えないものを片付けていない、これが心がざわめく一番の原因だと思います。

長生きするつもりでいますが(笑)こればかりは自分では決められないので、家族が困らないようにしたいと常に思っています。

知人が、ご家族が亡くなった時にとても困ったのがサブスク(サブスクリプション)だと話していました。

 

手続きしない限り自動更新されていくもの。

セキュリティソフト、Adobeのソフト、JAFの会費などなどなど。

 

クレジットカードや口座関係には、あまり使っていないのに解約していないものもあります。

 

これらは整理して一冊のノートにわかるようにしておかなくてはいけませんね。


それに、通信販売やメルマガなどの会員登録やメール。

この関係は積もりに積もって結構な数なので解除するのに骨が折れそう。

つい面倒で放置していました。

 

これらを本当に必要なものだけに絞れたらどんなにスッキリすることか。

 

暮らしを小さく簡単にしたい。


まずは、手をつけます。

それからコツコツ頑張ります。

 

ところで、ー昨日は茨城県国営ひたち海浜公園にコキアを見に行ってきました。

赤いコキアを見れるのはこれからですが、緑から赤に変わりかけのグランデーションもなかなか素敵です。

強い風にコキアがふわふわとみんなで揺れているのが可愛らしかったです。

友人も揺れるコキアを見ながら、風が強い日で良かったよね〜♪と大喜びでした。

 



それでは皆さん、良い一日を。

ありがとうございました。

 

けん玉の効用

人生をどう生きるかにも、大きく関わってくるので、

「健康」は関心ごとの一つです。

最近はエッセーや俳句の季語関連などに引き寄せられますが、

図書館に行くと、必ず食や運動など健康関連のコーナーを見ていました。


題名を忘れてしまいましたが、ウォーキング関係の本の中で、

けん玉も良いと書かれていて「ほほ〜っ」と思いました。


今は本が手元にないので、ネットで検索ですると、

けん玉と健康に関する記事がたくさんありました。

けん玉は全身運動。脳機能の活性化にもなるそうです。

検索のトップに出た広島大学・東京オフィスのホームページをお借りします。

www.hiroshima-u.ac.jp


うちにも旅先で見つけたけん玉があります。

子どもの頃はよく遊んだので、懐かしくて衝動買いしました。

部屋の目につく所に置いて、気がついた時にやっています。

座りっぱなしになることの予防にもなりますね。

なるほど、膝を使い、そこそこ集中力も使います。

でも、結構な確率で外します。

バランスが悪いのかしら。

それともこれも老化の一つ?

 

ブログを続けられています

グータッチ!

おかげさまで、更新はゆっくりですがブログを続けられています。

いつもありがとうございます。


話を聞いてもらい、見てもらう場所。

簡単ですが、これが私にとってのブログなのかなと思っています。

このメインブログでは、イラストや写真などを添えて、主にその時々の思いや感じていること、旅や展覧会、思い出話などを記事にしています。

サブブログでは、最近始めた俳句(すっかり滞っております)と、ウォーキングの記録を一枚の写真と三行の言葉で綴っています。(周辺の公園をぐるぐるしている記録です)

こんな記録としての要素もありますね。

 

一人で完結するのであれば、おそらく私の場合は続かないと思います。

日記も続いた試しがありません。

どなたかが読んでくれている。見てくれる人がいる。

だから、面白くて楽しくて、そして少し怖さも感じるブログを続けられているのだと思います。

 

今は人に会って話すことが少なくなりました。

1年半前まで人に接する仕事をしていたので、急激な変化です。

ですが、不思議と人との会話に飢えるようなこともなく過ごしています。

ブログのおかげかもしれません。

他の人のブログを読み、自分でもブログをゆっくり書き進めて、思いや考えを形にしていくことが、人と会話する機会が少ないことのリハビリのような役割も担ってくれているように思います。

ひいてはボケ防止にもなる期待感もあったり。

頭の中でぼんやりと浮かんだり消えたりする考えを捕まえて、文章にしていく作業は楽しいものですね。


昔のことですが、職場の同期5人がみんな職場を離れ、それぞれの土地で暮らしながら一冊のノートに近況や考えていることを書き綴り次の人に回す、ということをしていました。

ブログを書いていると、ちょっとそれに近いものを感じます。

1人に向けてではなく、自分だけに向ける訳でもない、他の誰かが読んでくれることを念頭に入れて書く。

手紙や日記とは違う感覚です。


一度ブログから離れて7年近くの空白がありました。

正直なところ、もう戻れないと思っていました。


勤めを辞めて、多くの方にイラストを見てもらう方法を考えていた時に、娘にInstagramを勧められました。

娘は遠くオーストラリアのブリスベンで暮らしているため、連絡用に作ったアカウントはあります。

(今はLINEで連絡を取るのがほとんどです。電話も無料でありがたいですね。)

始めようと思えばすぐにでも始められたのですが、一歩が踏み出せませんでした。

フォロワーになってくれる人がいなかったら寂しい〜とか、そんな理由です^^;


宙ぶらりんになっているはてなブログの存在は気になっていました。

経験もあるし、まだ残っているし。

と、できる理由を考えたのが良かったのかもしれません。


再開から無事3ヶ月が経過し、今があります。

この間、自然に書くことに重きを置くようになり、イラストは文に添えるものになりました。

これは、予想していないことでした。

⭐️やコメント、ブックマーク。どれもとても励みになります。

イラスト素材を使っていただいたり、ブログの内容を引用していただいた時もとても嬉しかったです。

こうしたブログ間の交流があるということも、続ける後押しになっているような気がします。

文は人なりと言いますが、文章を通してその方の人となりが感じられるのが魅力です。

また、さりげない言葉に優しさやユーモアを感じて、モニターを前にしてほっこりしています。

内容はシリアスなのに、ふとした言葉にユーモアが感じられることもあります。

ご自身は苦しい状況に置かれていてもユーモアを忘れないことに、「相手に対する思いやりが、ユーモアの原点なのです。」というアルフォンス・デーケンさんの言葉を思い出します。
言葉の引用・「よく生き よく笑い よき死と出会う」アルフォンス・デーケン 新潮社 より


イラストや写真も魅力的ですよね。

美しい花や景色といった自然、かわいいいきもの、行ったことのない場所、建造物、美味しそうな食べ物。

一言で言うと、目と心の栄養です。

 

私にとってブログを読むことと書くことはセットのようです。

これからもゆるゆると程よい距離感で、できれば長く楽しみたい。

そう思うこの頃です。


皆さまに日頃の感謝を込めて。

入笠山

前回、月に一度の山登りを始めることを書きましたが、記事を書く前に入笠山に行っております。


入笠山は、標高1,955m。

長野県の富士見パノラマリゾート山嶺駅からゴンドラに乗って、標高1,780mの山頂駅まで行けちゃいます。

駅に降り立ち湿原や花畑を通り山頂へ。

入笠山山頂からの眺望

山ですから登りは息が切れる箇所もありますが、登りきると忘れてしまうくらい。

山頂では愛犬(小型犬)と一緒に記念撮影をしていた方もいましたね。

私たちも写真を撮ったり景色を眺めていると、遠くからゴロゴロと雷鳴が聞こえ始めたので、ゆっくりはしていられませんでした。

 

湿原や花畑は、鹿による食害を防ぐため柵で仕切られていました。

管理している人に聞いた話では、鹿の大群が移動してきたことがあるそうです。

千頭はいたんじゃないかなと。

そんな数の鹿が相手では、植物はひとたまりもないでしょう。

ただ鹿にとっては生きるための行動ですしね。

 

花畑は、そういう時期なのか、終わりかけている花が多かったように思います。

桔梗や赤茶けたワレモコウが秋の風情を醸し出していました。

一際目を引いたのはトリガブトで、独特な形の鮮やかな紫の花ををあちこちで見かけました。

道端にも普通に生えています。

ヤマトリカブト、かな?

この入笠山では、頂上駅からマウンテンバイクで山を降る人たちが何人もいました。

細い道を勢いよく走行する姿には圧倒されます。

私たちが山から降りてきて、もうすぐ山頂駅というところで激しい雨に降られたのですが、小学生くらいの男の子が二人、お父さんと一緒に雨宿りしていました。

道もぬかるんでいるでしょうし、どうするのかなと思っていたら、

なんと小雨になったタイミングで三人でマウンテンバイクに乗って飛ぶように降りて行きました。


きっとお父さんと訓練を重ねて来たんでしょうけれど、勇気あるなぁ。

お父さんも子どもたちへの信頼があるんだろうと思いました。

この入笠山へは日帰りでしたが、三連休の初日ということだけあって、行きは圏央道も中央道も渋滞だらけ。

予想はしていましたけど、これほどとは。

工事もしてましたしね。

事故も一件ありました。

なかなか進まない車の中で、行き先を変更する?という案も出ましたが、登る山を急に変えることには気持ちがついていかず。

「まあ、ゴンドラで行けるんだし大丈夫でしょう」と夫。

朝6時過ぎに神奈川の自宅を出て、富士見パノラマリゾートに着いたのはお昼すぎでした。



帰りもところどころ渋滞していましたが、行きに比べると順調のうち。

家に帰り着くと、どっと疲れが出ました。


自分たちの年齢を考えるとなかなかの強行軍だったのでは?

と後になって思いましたが、

そう思うまで年齢は忘れていたということですから、なかなか良い傾向です(笑)